「星に帰った少女」を読み返し、主人公マミ子が杏子と出会った
八幡神社に行って来ました。
「そう、正面に鳥居があって、両わきにはマミ子の背たけより
やや低い石がきがあり、鳥居の奥に石だたみの参道がお堂まで
つづいていた。」
この八幡神社は、物語の舞台そのままに存在していました。
石たたみだけがコンクリートに変ってしまっていましたが・・・。
今となっては、元に戻らないけれど、
「星に帰った少女」の舞台と分かっていれば
そのまま残しておきたかった・・・・
八幡神社の沿革略記の看板がありました。
それによると、古代祭祀の祠や社の全村の
氏神を大きく慶長9年9月に勧請創建された、
とあります。
「従是東」の石碑、地元の古老に聞くと、
建立の時は「従是東下馬」とあったともいわれています。
八幡神社の目の前の道路は東海道です。
この地は、戦国時代、武田氏と北条氏が激闘を交した場所に
あり、沼津城の西端にあたる要所ですから、
石碑の由来も頷けます。
八幡神社の資料が少ないのも、度重なる戦火で焼失したとも
考えられますが、その度に再建され続けてきのは
東海道の要所の施設としての役割と
氏子達、住民の絆としての場所であったと考えられます。
八幡神社に行って来ました。
「そう、正面に鳥居があって、両わきにはマミ子の背たけより
やや低い石がきがあり、鳥居の奥に石だたみの参道がお堂まで
つづいていた。」
この八幡神社は、物語の舞台そのままに存在していました。
石たたみだけがコンクリートに変ってしまっていましたが・・・。
今となっては、元に戻らないけれど、
「星に帰った少女」の舞台と分かっていれば
そのまま残しておきたかった・・・・
八幡神社の沿革略記の看板がありました。
それによると、古代祭祀の祠や社の全村の
氏神を大きく慶長9年9月に勧請創建された、
とあります。
「従是東」の石碑、地元の古老に聞くと、
建立の時は「従是東下馬」とあったともいわれています。
八幡神社の目の前の道路は東海道です。
この地は、戦国時代、武田氏と北条氏が激闘を交した場所に
あり、沼津城の西端にあたる要所ですから、
石碑の由来も頷けます。
八幡神社の資料が少ないのも、度重なる戦火で焼失したとも
考えられますが、その度に再建され続けてきのは
東海道の要所の施設としての役割と
氏子達、住民の絆としての場所であったと考えられます。
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