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不二高社長のブログ
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明治生まれの父の職人時代の道具箱が
倉庫の奥にあるのを見つけました。
中に、「知恵定規」なるものが・・・。
大正時代か昭和の初期のものだろうか。

 







東京府立第八中学校
校長 岡田籐十朗先生発明「百分点」
知恵定規発明者 鶴来友次郎と
印刷されています。
説明書を兼ねた包装紙には
手書きの図面、
説明文はカタカナです。
パソコンの無かった時代は
全てこのようでしたね。
太平洋戦争時は
海軍の軍需工場で木型工として
働きながら養成工の指導者であった
青年時代の父の姿が見えるようです。
ちょっと、知恵定規の分子線を
使って円弧を分割してみました。
今でも現場で使えそうです。
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10月14日(土)、15日(日)の今日、明日は
末吉暁子の「星に帰った少女」の舞台、沼津市西間門の
八幡神社の秋の祭典です。
静岡県は昨日から雨天の予報通り、今日も朝から雨の中の
祭典準備をしていましたが、昨年同様に今年も奇跡が
起きました。
午後からの山車神輿の巡行が始まった現在、
八幡神社のご加護でしょうか・・・・
曇空ですが、雨が止んでいます。
「星に帰った少女」の内容そのままの、
小さな神社ですが、伝統を繋いでいる神社といわれ、
参道には数店の夜店も並び、
夜には氏子である祭典当番町が主催する演芸大会も
開かれます。
多くの神社の存続が危ぶまれている現在、
当地域でも高齢化と少子化で一つの「山神社」が
消滅(八幡神社に合祀)しましたが、
何とか今年は繋ぐ事が出来たようです。



 





昨年は、末吉暁子が永眠したことで、
「星に帰った少女」の舞台となった
沼津市の間門八幡神社とのコラボ祭典に
なりました。
 

 

末吉暁子の作品の中でも、
唯一、故郷が表現されているのが
「星に帰った少女」の舞台である
八幡神社とラストシーンの
牛臥山(小説では馬伏山)と
牛臥海岸(もしくは片浜海岸)
でしょうか。
彼女が少女の頃、学び遊んだ場所としての
八幡神社との繋がり。
今日、明日の祭典時には
まだ早過ぎるけれど、
11月になって八幡神社に足を踏み入れた時
「星に帰った少女」から、ものの見事に
切り取った、マミ子が見たシーンを
見ることが出来ます。
その風景を見た時、末吉暁子の故郷は
確かに沼津だったと再認識することでしょう。
その風景とともに、彼女が愛して止まなかった
世界中の子供達や愛読者の皆さんの
心に残っていくと思います。
そして、この神社も次の時代に受け継がれて
いくであろうと信じています。












サビついたユニットバスのリメイクを
アイカ バスフィットパネルで行いました。
16年程経過した大手メーカーの鋼板製の
ユニットバスにサビが発生して、壁面を
リメイクすることになりました。
お客様が選んだのは
アイカ バスフィットパネルです。







表面のサビは小さいけれど
化粧樹脂シートを剥がすと
サビはパネルの腰半分に
広がっていました。
ケレンしてペーパー掛けして
サビ止のプライマーを処理
しました。











アイカ バスフィットパネルの品番は
BFG 18314です。
明るい浴室にリメイクできました。

敬老の日に孫達から
貰ったプレンとは、
養命酒と
ハーブティーとハーブまくらでした。
ハーブまくらは、
物忘れに効果のあるらしい
香りを選んでくれました。
まだ現役で働いている
私への気配りでしょうか・・・
きっと、
どこかで物忘れしている
お爺ちゃんに
気付いているのかも・・・
うれしくもあり
ちょっと、ガッカリもある
敬老の日のプレゼントでした。
皆さんは、
どんなプレゼント戴きましたか。
「雨ふり花さいた」(故末吉暁子1942~2016)では、
遠野の座敷わらしの茶茶丸を淵猿として、お花坊といっしょの
河童族にして描いています。その姿も風に吹かれて飛んで行って
しまうほど小さく甲羅もないのです。全国に伝承されている
河童の姿が、私達が絵画や漫画で目にしている通説と違って
              


いることが多く、不思議に思っていたのですが、
末吉暁子は甲羅の無い河童で物語を作っています。
この本で、私の疑問は解決してしまいました・・・。



彼女が亡くなってから、それまでじっくり読むことも
なかった本を再読しています。
「雨ふり花さいた」も、その中の一冊ですが、
文章のあちこちに、あれ!
なにか、河津町の栖足寺の「河童のかめ」伝説と
ひっかかるところがあるな~と、
感じてしまうのです。
大こじつけですが、私なりにこの情景を
浮かべては、座敷わらしは河童族なんだ。と、
決めちゃっています。
そして、馬に悪さをして懲らしめられているところを
栖足寺の和尚さんに助けられ、お礼に壺を渡して
この河童は、風に吹かれて東北地方に飛んでいった
のだろう、時を超えて、風に吹かれては飛んで行った
茶茶丸はそこで又、馬に悪さをしてしまったんだ・・・
と、一人で納得しています。
末吉暁子は伊豆を旅した時、きっと栖足寺で
河童のかめの伝説を目にし、記憶の中に
しまってあったのだろうと思います。
河童のかめの伝説を知ってから「雨ふり花さいた」を
読み返してみるのも面白いですね。
栖足寺の河童のかめの話を
末吉暁子の姉、富士市在住で陶芸家の根本ルリ子に
話をしたところ、早速素焼の、壺を抱いたり、壺に入った
河童の置物を作ってくれました。
(木の葉のような甲羅が付いています。)







 

この素焼の置物に、百年炭蔵のナノ木炭塗料を塗布して
「河童のかめ・恋炭物語Ⓡ」を完成させて
栖足寺さんにお届けしました。
アポなしに突然訪問したのですが、法事でお忙しそうでしたが
ご住職の千葉兼如さんお会い出来、河童ギャラリーを
拝観させて戴きました。伝説の河童のかめも実際に存在し、
いまでも壺に耳を近付けるとサラサラとせせらぎの音が
聞こえてくるそうです。(この日は、時間がなくて拝観
出来ませんでした)
次の機会に是非と伝えて帰宅しましたが、
「雨ふり花さいた」を読み返して、前述のこじつけを
してみたのです。千葉住職さんなら、「雨ふり花さいた」を
どのように解釈されるのか、お会いするのが楽しみです。
栖足寺さんのパンフレットの表紙には
「観自在」
 「河童元来仏菩薩の化身也・・・・・」
と書かれています。
座敷わらしの話を聞けば、頷かずにはおれませんね。

皆さんもぜひ栖足寺を参拝して、河童ギャラリーで
陶芸家手作りのお墨付き河童のかめを
見つけて下さい。そして、出来れば河童の残した壺の
せせらぎの音を聴いてみては如何でしょうか。
(せせらぎの音が聞こえたら、茶茶丸とお花坊は
 どこかで生きているのだそうです)
 






 
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