1月11日の早朝、沼津市の片浜小学校の子供会では
町内ごとに海岸で「どんどん焼」の伝統を守っています。
正月に町内の家々で飾られていた正月飾りやしめ縄を
持ち寄って焼いて、無病息災を祈る「火祭」です。
地域によっては、夜に行うところもあるようです。
片浜地区では、昔は稲刈り跡の田んぼで行った時代も
ありましたが、地域が住宅地に開発されて、田んぼが
少なくなり、近年では防災上海岸で行うようになりました。
我家では、私が小学生の頃まで、1月15日の二番正月には
柳の枝に、紅や青の色づけされた団子を沢山つけて飾った
ものを家庭で焼いて食べて、無病息災を願っていました。
浜松出身の母の子供の頃の思い出の風習だったのかもしれません。
姉・妹が多かった家庭でしたので、団子を丸い団子ばかりでなく、
俵の形にしたり、小判の形にするのが楽しかったことを思い出します。
そうそう、きっと現在の「飾り雛」の起源ですね。
子供会での「どんどん焼」に参加するようになって、
長い木の三又の枝に団子を付けて焼くようになりました。
焦げないように、アルミ箔で巻くのも時代の
流れでしょうね。
町内ごとに海岸で「どんどん焼」の伝統を守っています。
正月に町内の家々で飾られていた正月飾りやしめ縄を
持ち寄って焼いて、無病息災を祈る「火祭」です。
地域によっては、夜に行うところもあるようです。
片浜地区では、昔は稲刈り跡の田んぼで行った時代も
ありましたが、地域が住宅地に開発されて、田んぼが
少なくなり、近年では防災上海岸で行うようになりました。
我家では、私が小学生の頃まで、1月15日の二番正月には
柳の枝に、紅や青の色づけされた団子を沢山つけて飾った
ものを家庭で焼いて食べて、無病息災を願っていました。
浜松出身の母の子供の頃の思い出の風習だったのかもしれません。
姉・妹が多かった家庭でしたので、団子を丸い団子ばかりでなく、
俵の形にしたり、小判の形にするのが楽しかったことを思い出します。
そうそう、きっと現在の「飾り雛」の起源ですね。
子供会での「どんどん焼」に参加するようになって、
長い木の三又の枝に団子を付けて焼くようになりました。
焦げないように、アルミ箔で巻くのも時代の
流れでしょうね。
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